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2018年9月24日 (月)

「尽きない泉」再開29号

聖書 あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは野草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこからとられたのだから。あなたはちりだからちりに帰らなければならない。創世記3章17~19節。

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                    キキョウ 桔梗

 

顔に汗を流して糧を得、これは、精神的、肉体的に働くことであり、今も生きている言葉であり、これは神さまの命令です。

私たちは、それぞれ自分の考え、意志が与えられて、一人の人間として働き生きるように神さまにより造られたのです。

私たちは、聖書に記された神さまの言葉を信じて行動するのですが、聖書の言葉を信じ、その言葉をよく考え、感謝と喜びをもって楽しく生き働くべきなのです。

信じ、よく考え、感謝し明るく働き、結果を委ね安心して生きて行くのです。

テサロニケⅡ3章には、「働きたくない者は食べるな。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。」とあります。勿論、病気とか、体が不自由な人とかは別です。

神さまにお祈りすることも仕事であり、世の中の何かの役に立っていることなのです。

 人にとって自分が何かの役に立っていると認められることは、うれしいものであり、元気になるのです。ですから、お互い、人のことをほめ合うことは非常に大事なことであり、ほめられたら素直に喜び、お礼を言うべきです。人には必ず良いところがあるのです。欠点の裏側は長所です。

創造する喜び・・・働く、労働することは、それは物を造り出し、創造することなのです。人は、物を造り上げ達成した時の喜びがあるから、苦労を忘れ、人は、新しいことに次々と挑戦するのです。創造主に創造された私たち人間が、創造の喜びを活用して、文明文化を造り上げてきたのです。物を造り、造り上げ喜ぶことはとても大事なことなのです。

勿論、神さまの恵みと愛に支えらえてのことは忘れてはならないことです。

今日も、お一人お一人の生活と仕事が祝福され、お幸せであるように祈ります。

2018年9月21日 (金)

再開「尽きない泉」28号[

日付はダブっていますが、明日の分です。

聖書
キリストイエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。新約聖書ピリピ3章14節

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 徐々に体力はついてきています。お祈り、励ましを感謝します。
パソコンのカメラですので、不鮮明ですがいつもいる室内です。 

一心に・・

集中力は、厳しい現実に勝って、人生を生き抜くためにとても大事です。気を散らさず、物事に一心になることによって、物事はやり遂げられるのです。持てる力は、集中すると出て来るのです。

神さまへの心からささげる祈りの姿勢として、「祈りは必ず聞かれると信じる、ひざまづいて祈る、涙を流して祈る、血の汗を流して祈る、手を上げて祈る、忍耐の限りを尽くし祈る」その他、「一心に走る、一心に見つめる」「心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし・・」「力の限り見張って」などなど、集中力を言いあらわすことがまだまだ聖書には書かれているのです。

これらの集中力は、神さまへの忍耐強い祈りを心掛け習慣にすることです。

祈りは、祈りそのものが大きな力を発揮するのです。一心に祈ることを続けていると、自然に忍耐強くなるのです。同じく聖書に、「絶えず祈りなさい。」とあります。上よりの力、御霊の御力、祈る力を与えられるお祈りして待ち望んでいると力が湧いてくるのです。

お一人お一人の人生が幸せであるように心からお祈りしています。

「尽きない泉」再開27号

聖書
三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。「これは「わが神、わが神、」どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。マタイ27章6節。

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          タンポポ
 

十字架上の主イエスさまの声は、私たち人間たちがしばしば抱く心の叫びなのです。神さまは、私たちを見放しておられるのではないのです。目に見える外側だけで判断してはならないのです。神さまは、どんな時にも、どんなことがあっても、信じる私たちを、決して、見捨てられる方ではないし、私たちの自由意思を与えて行動をゆるされた神さまは、私たちがどう生きるかを見守っておられるのです。私たちは、自由に伴う責任を自覚して、多く蒔く者は、多く刈り取るという主の御言葉を心に留め行動すべきなのです。神さまは、それを待っておられるのです。神の栄光を現わすための人生を送るため備えられた自分の人生を、厳しくあっても訓練と思って感謝を忘れず生きて行きないのです。

一般民衆を上から抑え込み、自由を奪った、歴史に登場したいわゆる独裁者の末路は、孤独そのもので、その最後は、栄光の過去とは正反対のみじめで、さびしかったに違いないのです。

しかし、神さまは、私たち人間を抑え込む方では全くないのです。信じない人を忍耐強く見守っておらえるのです。主イエス様、信じる自由も、信じない自由を、人間に与えておられるのです。へブル13章5節にあるように、主ご自身がこう言われているのです。「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない。」ですから、私たちは、その自由に伴う責任をしっかり自覚し、行動すべきです。祝福の人生は、ついて来るのです。神さまが、いつも、いっしょにいてくださる・・それ以上ない尊いことであり、しあわせなことなのです。

独裁者たちに比べ、自らを与え続け、いのちまでも与えた主イエス様の名は、今に至るまで残り広まり続けているのです。それも、変わりなく続き、さらに、信じる者には、尽きない希望、愛の永遠のいのちを与えて下さったのです。そして、ここに、「尽きない泉」が存在しているのです。この「尽きない泉」が主イエスの永遠のいのちをさらに多くの人々に伝わることを強く、強く願いお祈りしています。

この主イエスの「尽きない泉」により神の祝福を受け、末永く幸せになりますように、お一人お一人を覚えてお祈りを日々続けています。心を込め祝福を祈りつつ。

これが、十字架上のイエスの言葉に対しての答えなのです。そして、私たちに語り掛けておられるのです。神さまは、愛と恵みに豊かなお方です。アーメン

 

2018年9月19日 (水)

「尽きない泉」再開26号

そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。詩篇126篇1~3節。

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          向日葵 ヒマワリ

主イエスの福音は、平和の福音であると共に、喜びの福音なのです。人の心に喜びを与える福音であり、たとえば、普通は喜べないような状況でも、主イエスにつながっている時、心の底から湧いてくる喜びが心を明るくするのです。それは、それは、主イエス様が言われました信じる心の底から泉のごとく湧いてくるいのちの泉、尽きない泉から湧くいのちが人の心を元気にし、明るい喜びの心にするのです。喜び、笑いは、人の心身を健康にするのです

陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。箴言17章22節 新改訳

 喜びや笑いは、周囲を明るくし、人の交流を和やかにし、生活や仕事の場を良くし、働きもはかどり、いい結果を生むのです。お店も繁盛するのです。いい雰囲気に、人は誘われ集まってくるのです。いいお友達もできるのです。暗く陰気だと人は陽気な明るい雰囲気は、脳の働きを良くし、健康にもいいのです。 暗く陰気な心は、体にも、心にも良くないと聖書ははっきり言っているのです。時は、喜べないような時の、あえて、喜ぶと心は変わるのです。

植物は太陽の光を浴び光合成により成長するように、人間も同じです。

 感謝の心は、その心に喜び、顔はほほえみ笑顔になるのです。主イエスさまの福音は喜びの福音なのです。お祈りし、結果を信じ、感謝し、喜びましょう。必ず、良い結果が出るのです。

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。ピリピ4章4節。

 

2018年9月18日 (火)

「尽きない泉」再開25号

聖書 主は、御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現わしてくださるのです。②歴代16章9節。

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 諏訪湖畔レストランにて・・秋山直光先生ご一家がお訪ねくださった時の写真です。何度も書きましたが、あえて書かせていただきます。体温31度で失神し、体力、記憶の多くを失い、ここまで回復しました。神さまのなさることは、正に不思議です。与えられたいのちを主の御用のためさらに用いられたいのです。

 神さまの御心をしっかり受け止めて、神さまの御心のままに生きようとする者に神さまは御心を現わしてくださるのです。神の御力は、どのような条件で表わされるかを教えておられるのです。求める者には、答えてくださるのです。信じる者を受け止め、恵みをもって力を現わしてくださるのです。祈ったら、力を尽したら、あとは、すでに得たものと信じ、感謝の気持ちで、待ち望むのです。必ず、その祈りに答えてくださることを感謝と共に確信し、心を強くして待ち望むのです。

雄々しくあれ、心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。詩篇31篇24節

待ち望む間、たとえ、心をゆさぶられたとしてもである。心を騒がす必要など全くないのです。神の言葉である聖書をそのまま受け取るべきなのです。加えることも、引くことも許されないのです。黙示録22章18節参照。聖書の言葉を、目をそらさず真正面から受け止めつ真摯(しんし)な姿勢を取るべきなのです。神さまもそれに応じ、祝福をもって報いてくださるのです多くく蒔く者は多く刈り取るのです。蒔かぬ種は生えないのです。

「主によって語られたことは必ず実現すると信じ切った人は何と幸いなことでしょう。」ルカ1章45節。

2018年9月15日 (土)

「尽きない泉」再開24号

聖書 あなたは、わずかな事に忠実だったから、私は、あなたにたくさんの事をまかせよう。マタイ25章23節

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 広く遠い先の先まで明るく希望を持つとともに、足元の小さいことも大事にする生活が大事なのです。小さい事が案外、将来大きな事になって多くの実を結ぶという事を忘れてはならないのです。神さまのなさることは、人間の思いを超えたもので、人は、無理、駄目という事が将来、大きな実を結ぶ木になるのです。失望することなどないのです。信じて祈り、祈って信じる祈りを日々忍耐強く継続するのです。神さまは必ずその願いを成就し、備えてくださるのです。

聖書 

先の事どもを思い出すな。昔の事を考えるな。見よ。わたしは新しいことをする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を。荒れ地川を設ける。イザヤ43章18-19節。

神さまは、荒野に、砂漠に、川を設け、砂漠に花を咲かせ下さるのです。思いもしなかった、経験したことのない大いなることを行ってくださる偉大なる活きた神さまをもっと期待しなければ、神さまに申し訳ない思いです。平凡な一日、特別な感動もない一日も主イエスに在る時、新しい日として迎えられるのです。

聖書 

だれがその日を小さいこととしてさげすんだのか 旧約聖書ゼカリヤ4章10節。

神は言葉です。神の言葉である聖書を、その通りに神の言葉として受け取り、生きて働いておられる神の言葉、聖書をもっと強く信頼し生きています。生きた神さまが、お一人お一人と共にいて、祝福してくださるように祈っています。アーメン。。

2018年9月14日 (金)

「尽きない泉」再開23号

自分のからだで神の栄光を現わしなさい
コリント①6章20節 新共同訳

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           サフラン

 人生の目的 生きる意味
自分の体、それは、自分の存在という事であり、自分が生きている理由、目的である。人は何のために生きているのか、人生の目的とはないか。人間にとって生涯の課題である。これは、基本は全く同じでも、その人の環境、社会的立場、年令によって、それぞれ、表現は異なるのです。基本から言えば、造り主である神が讃美され、あがめられる栄光の生涯を送ることである。単なる自己満足ではなく、いのちを与えて下さった神さまが崇められるためなのである。単なる自己満足ではなく、使命感を抱いて、生活のすべては神の栄光のためである。人生で、生きている本当の意味を見出した人は幸いなのです。働いて食べて好きなことするという目的は、やがて、飽きるのです。自分は、役に立っていることが分かると、人の気持ちは満たされるのです。

 の仕事は、神から与えられたものとして、(例外もあり、時には転職もあるが、)祈りつつ選択し、基本としては、それが何であったとして感謝して、その専門家になるように精通し認められるように努力すべきです。さらに用いられるようになるのです。クリスチャンとしても、神さまに「忠実な良いしもべだ。よくやった。」と認めていただけるように精進すべきです。要するに、与えられた仕事や環境に感謝し、一生懸命に生きることなのです。お一人お一人の人生のお幸せを心から祈ります。

「尽きない泉」再開22号

聖書 「先の事どもを思い出すな。昔の事を考えるな。見よ。わたしは新しいことをする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を。荒れ地に川を設ける。
イザヤ43章18-19節。

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            さるすべり

 

主イエスに在って迎える今日は、昨日の上に、さらに優った良い一段積み重ねたものなのですが、、今日は、昨日より更に良い一日、より良いまさったものなのです。朝を迎えた時、今日も良い一日であるようにと祈って始めたいものです。心を騒がすことなく、きっと必ず良い一日になると確信し、心に、思い描きイメージすることはとても大事なことで。信じるごとくなるのです。

 主イエスに在って生きる者は、目に見える外見は、年と共に衰えますが、内なる心は、日々、新しくされるのです。過去にしばられることなく、つねに、前を向いて、更なる可能性を大きく信じて生きて行くべきです。ヤベツの祈りのように、『私を大いに祝福し、私の地境を拡げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけてくださいますように。』旧約聖書 歴代誌⑴4章9-10節。

神からの強い力を与えられ、神の偉大さを強く信頼し祈るのです。祈りは、必ず答えられるのです。あなたの生活の中に主イエスは働いておられるのです。アーメン。

 偉大な神さまを、私たちの狭い考えで小さい神さまにしてはならないのです。夢見る人ヨセフのように、神さまから大きく広い希望、夢、ビジョンを与えられて生きて行きたいのです。同時に、聖書から力を与えられて、自分の出来る限りのことを実行して生きることを心掛けたのです。神は、信じて行う者を祝福してくださるのです。多くの実を結ぶ人生である事を強く願っています。

2018年9月13日 (木)

「尽きない泉」再開21号

自分のからだで神の栄光を現わしなさい。コリント①6章20節新共同訳

人生の目的・生きる意味について

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         アノダクリスタアーダ  

自分の体、それは、自分の存在という事であり、自分が生きている理由、目的である。人は何のために生きているのか、人生の目的とはないか。人間にとって生涯の課題である。これは、基本は全く同じでも、その人の環境、社会的立場、年令によって、それぞれ、表現は異なるのです。基本から言えば、造り主である神が讃美され、あがめられる栄光の生涯を送ることである。単なる自己満足ではなく、いのちを与えて下さった神さまが崇められるためなのである。単なる自己満足ではなく、使命感を抱いて、生活のすべては神の栄光のためである。人生で、生きている本当の意味を見出した人は幸いなのです。働いて食べて好きなことするという目的は、やがて、飽きるのです。自分は、役に立っていることが分かると、人の気持ちは満たされるのです。

自分の仕事は、神から与えられたものとして、例外もあり、時には転職もあるが、祈りつつ選択し、基本としては、それが何であったとして感謝して、その専門家になるように精通し認められるように努力すべきです。さらに用いられるようになるのです。クリスチャンとしても、神さまに「忠実な良いしもべだ。よくやった。」と認めていただけるように精進すべきです。要するに、与えられた仕事や環境を神さまから与えられていることを感謝し、一生懸命に生きることなのです。
お一人お一人の人生の神さまのお守り、安全とお幸せを心から祈ります。

2018年9月12日 (水)

「尽きない泉」再開21号

ロトがアブラハムと別れて後、主はアブラハムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。創世記13章13~15節

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                コオニユリ

高齢になると、視野がどうしても狭くなる。しかし、心の視野、信仰的視野は広く、遠くある事を神さまは望んでおられるのである。私たちが、思い考える以上に神さまは、偉大なお方なのである。心に思い描くイメージが人生を決めるのです。夢、希望の実現は決して一朝一夕にはいかないが、わたしたちが強く逞しくなるために、神さまが与えなさる試練なので神さまはすべてを益となさるお方なので無駄にはない。限りなく可能性を信じて前向きに生きて行きたい。先々の可能性に終わりはない。この希望は失望に終わることはないのです。

十字架と復活のかぎりなく湧く泉のような愛で、私のこころは元気づけられるのです。

 

一歩一歩足元に注意し、足場を確かめつつ歩きながらも、人生は、その先を展望する視野の広さが、その先を決めるのです。神さまの偉大さを心の支えとして、さらにさらに広く明るい視野を抱いて生きて行きたいのです。神さまは、必ず、その願いと祈りに答えてくださるのです。アーメン。

 ロトがアブラハムと別れて後、主はアブラハムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。創世記13章13~15節

 

高齢になると、視野がどうしても狭くなる。しかし、心の視野、信仰的視野は広く、遠くある事を神さまは望んでおられるのである。私たちが、思い考える以上に神さまは、偉大なお方なのである。心に思い描くイメージが人生を決めるのです。夢、希望の実現は決して一朝一夕にはいかないが、わたしたちが強く逞しくなるために、神さまが与えなさる試練なので神さまはすべてを益となさるお方なので無駄にはない。限りなく可能性を信じて前向きに生きて行きたい。先々の可能性に終わりはない。この希望は失望に終わることはないのです。

十字架と復活のかぎりなく湧く泉のような愛で、私のこころは元気づけられるのです。

 

一歩一歩足元に注意し、足場を確かめつつ歩きながらも、人生は、その先を展望する視野の広さが、その先を決めるのです。神さまの偉大さを心の支えとして、さらにさらに広く明るい視野を抱いて生きて行きたいのです。神さまは、必ず、その願いと祈りに答えてくださるのです。アーメン。

 

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