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2019年6月の投稿

2019年6月30日 (日)

「尽きない泉」通算2023号 2019 6月30日(日)

 2013//13 「尽きない泉」第1号 
「尽きない泉」通算2023号 2019 6月30日(日)

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聖書

見よ、わたしは新しいことを行う。あなたがたはそれを知らないのか今、それが芽生えている。必ず、荒野に道を、荒れ地に川を設ける。野の獣、ジャッカルやダチョウも、わたしをあがめる。わたしは荒野に水を荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。わたしのためにわたしが形造ったこの民は、わたしの栄誉を述べ伝える。イザヤ431921節。

どんなに状況が困難を極めていても、神さまは、その荒野を、私たちの考えもしなかった水の豊かに流れる作物の豊かな収穫を見る地に神さまは変える大きな力のあるお方なのです。

太陽の光と熱が地に降り注ぎ、その地に豊富な水が湧き、多くの水が流れる川があれば、収穫豊かな農耕地になるのです。

神さまに選ばれ、神さまを信じて生きる私たちのために備えてくださる人生は、正に、この言葉のように、神の栄光溢れる豊かな人生となることを約束してくださったのです。

私たちの狭く小さな考えで、神さまを小さな神さまにしてはならないのです。神さまの不思議さ。偉大さは図り知れないのです。私たちの将来にはまだまだ多くの収穫が期待できる新しい開拓地が残されているのです。主に在って生きる私たちの人生は、尽きることのない可能性をはらんだ栄光の人生なのです。

「尽きない泉」を読んでくださるお一人お一人の上に、今日も、神さまの祝福が豊かであるようにお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月29日 (土)

「尽きない泉」通算2022号 2019 6月29日(土)

 2013//13 「尽きない泉」第1号 

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「尽きない泉」通算2022号 2019 6月29日(土)

聖書

私はどんな境遇にあっても満ちた足りることを学びました。私は貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。

ピリピ411~13節
どんな時にも、私たちのことを心配してくださる神さまがいっしょにいてくださるのです。そして、私たちのためにこの世の様々なことを経験させてくださるのです。私たちの内面には、神さまから与えられた様々な能力が隠れているのです。その能力が引き出され活用されるためには、それらの経験が大事であり、必要なのです。

私たちは、自分に与えられた信仰、知識、知恵、力は、現実生活の中で活かし経験することで、始めて身に付くのです。経験して始めて本当のことが分かることが世の中にはたくさんあるのです。

いつも主イエス様を力として、人生の色々な場面のすべてのことについて感謝して生きることが、大切な秘訣なのです。

「尽きない泉」を読んでくださるお一人お一人の人生が豊かな神の祝福の許、幸せであるようにお祈りしています。高橋芳昭。

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2019年6月28日 (金)

「尽きない泉」通算2021号 2019 6月28日(金)

2013//13 「尽きない泉」第1号 

花の名前はわかりません。

「尽きない泉」通算2021号 2019 6月28日(金)
聖書
ですから、だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、新しくなりました。コリント第二 517節。

主イエス様に在って、新鮮な心で新しい朝を迎えました。昨日のことは、良いことも、良くなかったことも、すべて、十字架のゆえに過去に葬り、復活の新しいいのちにより、心を新しくされることは、本当に素晴らしい経験であり、本当に感謝です。
そして、何のこだわりもなく、キリストに在る自由な心で、ひたすら、主イエス様を見上げ、新しい力を与えられて、今日という日が始まりました。
早朝からさえずる小鳥たちの美しい鳴き声にもいやされつつ、この「尽きない泉」の原稿を書いています。
物事は、視点によって、良くも悪くもなるのです。無駄と思えていたのが、有益なものと分かったりするのです。「失敗は成功のもと」言います。一度や二度ぐらいの失敗で失望せず、何度でも挑戦する忍耐力が必要です。失敗にめげず、立ち上がった経験のある人は強いのです。反対に、失敗したことのない人は、強そうで、実は、案外もろく弱いのです。
誰にも、長所と短所があり、それは表と裏であり、短所も見方を変えれば長所になるのです。
は裏と表なのです。ですから、実は、見方を変えると、短所が長所になり、長所は短所になるのです。神さまは、私たちに、いろいろな経験をさせて、私たちが、神の栄光を現す人間になるように導いてくださるのです。

「失敗は成功のもと」と言います。人は、失敗することで、自分の本当の姿を知り、実りある堅実な人生になるのです。人は誰でも、自分の気づいていない素晴らしい可能性が自分の中に隠れているのです。神さまは、その可能性を引き出してくださるのです。

今日も、「尽きない泉」を読んでくださるお一人お一人の人生を祝福してくださるようにお祈りしています。厳しい試練の中におられる方のためにもお祈りをしています。高橋芳昭。

2019年6月27日 (木)

「尽きない泉」通算2020号 2019 6月27日(木)

2013//13 「尽きない泉」第1号   

            

「尽きない泉」通算2020号 2019 6月27日(木)

聖書

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。私の助けは天地を造られた方から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。詩篇12113節。

123篇には、神さまに向かって目を上げる!とある。私たちは、どんな時にも、先ず第一にすべきことは、心の中で神さまを仰ぎ、御助けを信じて待ち望むことです。どんな時にも、そばに神さまが、共にいてくだされば、必ず、問題に勝つことができるのです。そして、栄光の結実を見ることができるのです。

今、抱える厳しい問題に対して目をそらさず、雄々しく立ち向かう祈りと信仰をもって挑戦。するのです。信じて挑戦することを、神さまは喜んでくださるのです。そして、その祈りに必ず応えてくださるのです。

顔を上に向け、高く広く遠く目を向け生きるべきです。足元を固めるとともに、視野は広く遠くでなければなりません。一本一本の木を見て、森全体を見ずに道を見失ってはならないのです。

神さまは、眠ることもまどろむこともなく、天の高いところから、広く遠い視野をもって、私たちの現在を始めとして、過去、未来のすべてを見守っていてくださるのです。

神さまのその恵みと愛と大能の御手にすべてを委ね、心にゆとりを失わず、日々を生きて行きないのです。

 

「尽きない泉」を読んでくださるお一人お一人の人生に、神さまの豊かな祝福が注がれますようにお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月26日 (水)

「尽きない泉」通算2019号 2019 6月26日(水)

2013//13 「尽きない泉」第1号      

         

「尽きない泉」通算2019号 2019 6月26日(水)

聖書

私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。ローマ15章2節(新改訳聖書)

主イエス様は言われました。「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」と言われました。他の人のためを思い、その人のプラスになるようにとなることをすることは、人間関係を良くし、交流を深めるためには、とても大切なことであり、極めて積極的な生き方なのです。自分のことのように気持ちを込め尽くすことは、主イエス様の大切な教えなのです。このことは、家庭生活は当然のこと、販売業、製造業なども、商売ですから利潤を求めながらも、お客様を尊重し、良いものを造り、良い商品を揃え喜んでいただく考えや気持ちは、とても大切です。

私たちが、この世に住んでいる以上、主イエス様の教えも、極めて、具体的な教えにまで及んでいるのです。神さまを愛し敬い、人を自分のことのように愛することが、生きることが、聖書の教えの基本なのです。主イエス様は、それらを実行するために必要な力を私たちに与えてくださるのです。感謝です。

「尽きない泉」をお読みくださるお一人お一人の人生に、神さまの祝福を心からお祈りしています。高橋芳昭。

 

2019年6月25日 (火)

2019/6月25日(火)「尽きない泉」2018号

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

2019/6月25日(火)2018号
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ブドウの葉が色濃くなりました。
聖書 
全地よ。主に喜び叫べ、大声で叫び、喜び歌いほめ歌を歌え。主にほめ歌を歌え、竪琴に合わせて。竪琴に合わせ、ほめ歌の調べに乗せて。ラッパに合わせ、角笛の調べに乗せて王である主のみ前で喜び叫べ。海とそこに満ちているもの、世界とその中に住むものよ。鳴りとどろけ、もろもろの川よ、手を打ち鳴らせ。山々もこぞって喜び歌え。詩篇98篇4~8節。

喜び叫べ!喜び歌え!何度もこの言葉が出てくることに注目しよう。
主イエスに在って生きる私たちの心にも、御霊による喜びが湧いてくのです。主イエス様とともに生きる者の心に尽きることなく湧き出るいのちの流れは、人の心の内に、神をほめ歌う妙なる調べが湧いてくるのです。今、私たちが歌う讃美歌は、何冊も讃美歌集出ている。それぞれの讃美歌は、作詞された人、作曲された人の信仰の証であり、祈りでもあるのです。その賛美歌の楽譜は、四部合唱になっていて、その喜びと感動を美しいハーモニーで表現するようになっているのです。

それは、主イエス様に在って生きる者の心には、合唱のような美しいハーモニーの調べが湧いているからです。
人は誰もが、心の内に感動を抱いて生きて行くことを望んでいるのです。主イエス様に在って生きる者に約束されたその恵に満ちた人生は、そのすべての人に与えられるのです。祈り求める者に力を与えられて自分になるのです。
「尽きない泉」読んでくださるお一人お一人の上に神さまの祝福がありますようにお祈りしています。高橋芳昭。
下諏訪キリスト教会の駐車場にた植えられブドウの葉の緑が濃くなりました。

 

2019年6月24日 (月)

2019/6月24日(月)2017号 

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

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。花の名前はわかりません。

2019/6月24日(月)2017号                                                                                                        

聖書          

すると5タラントの者が進み出て。もう5タラント差し出して言った。「ご主人様、私に、5タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はほかに5タラントもうけました。主人は彼に言った。「よくやった。よい忠実なしもべだ。お前はわずかなものに忠実だったから多くのものを任せよう。主人の喜びをとともに喜んでくれ。」マタイ252021節。

ここで二つのことを大切な教訓として学ばされるのです。その一つが、そのしもべは、与えられたお金を忠実に増やしたことです。私たちは、それぞれ、神さまから色々な賜物を与えられて生きています。例えば、性格、才能、体力、精神力などを与えられて生きています。そのそれらをどのように活用するかは、人それぞれの責任なのです。天から与えられた尊い使命と受け止めて、つねに自分の長所を生かし、自分の最善を尽くすかによって、人生の結実は大きく違ってくることを、主イエス様は、たとえをもって教えておられるのです。

豊かなお結実を思い描く大きな夢を抱き、熱い意欲を燃やし、ひたすらなる祈りをもって、自分なりのベスト、ベターを尽くして生きて行く忠実さに、神さまは、必ず、報いてくださるのです。

その二は、ほめることの大切さです、人は、認められることを生きがいにして生きていることです。ほめることは認められることなのです。主は、しもべの忠実さをほめられたのです。ほめられると、それが、強い意欲、自信となり、人間として成長し、それが、多くの実を結ぶ喜びにつながるのです。

「尽きない泉」の流れがますます広がり、多くの実を結ぶように、お祈りしています。そして、読んでくださるお一人お一人に豊かな神の祝福が注がれるようにお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月23日 (日)

「尽きない泉」2019/6月23日(日)2016号

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

いつも降って登っている長い階段の周辺も緑の色が濃くなりました。

2019/6月23日(日)2016号                                                                                                         

聖書

主は、洪水の前から、御座についておられる。主は、とこしえに、王座についておられる。主はご自分の民に力をお与えになる。主はご自分の民に平安をもって祝福される。詩篇1011節。

神さまは、どんな時にも変わらず、権威のしるしである御座に着いておられるのです。そして、眠ることなく、まどろむことなく、私たちを見守っていてくださるのです。そして、私たちに力を与えて強くしてくださるのです。それは、上よりの力、つまり、御霊の御働きにより実現した私たちの内に住まわれる主イエス様御自身であり、尽きることなく、湧き続けるいのちの泉なのです。

そして、神さまからの祝福は、必ず、平安もいっしょに与えられるのです。これは、とても大切なことなのです。主イエス様は、平安を与えると言われました。平安こそ、私たち主イエス様に在って生きる者の永遠の彼方までの心の内の宝なのです。

人は、心に平安があると、自分の持てる力と知恵が引き出されるのです。人間も、副交感神経の働きがよくなると、気持ちが落ち着き、肉体の働きも活発になるのです。主イエス様の御名による祈りは、人の心を癒し、元気にする力があるのです。そして、いのちの言葉である聖書の言葉もまた、心に平安を与える働きをする不思議な言葉です。

主イエスの福音の言葉を伝える「尽きない泉」をお読みくださる方々お一人お一人の人生が神さまからの祝福がますます豊かでありますように心からお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月22日 (土)

「尽きない泉」2019/6月22日(土)2015号

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

2019/6月22日(土)2015

                                                                                                        

聖書

このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる恵みを喜んでいます。それだけでなく、苦難さえも喜んでいます。それは苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すことを知っているからです。ローマ書524節。

この素晴らしい生きる姿勢を使徒パウロは、経験することで、知ったのです。

「苦難を喜ぶ」そもそも苦難は、苦しみですから喜ばしくなく筈なのです。しかし、苦労は、人として成長するためには、大事な経験であり、人生、知識だけでは分からないことが、たくさんあるのです。苦労は誰にとって必要なことなのです。苦労は、人を育てるのです。「苦は楽の種」ことわざにあるこの言葉は、経験して初めて分かった人が作ったのでしょう。

私たちは、なぜ、苦難をも喜べるのでしょう。苦難には、深い意味があるからです。十字架の苦しみの後には、栄光の復活があるのです。主に在って生きる者の試練での苦しみは、決して、無駄にならないのです。ですから、喜んで、つまり、進んで、苦難に挑戦する意気込みを持って生きるのです。主イエス様に在る者には、その力が与えられていることを信じて生きるのです。

「尽きない泉」を読んでおられるお一人お一人の上に、今日も、豊かな神の恵みと祝福が注がれますようにお祈りしています。高橋芳昭。

 

2019年6月21日 (金)

「尽きない泉」2019/6月21日(金)2014号

 

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

2019/6月21日(金)2014                                                         

聖書

まことにまことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。ヨハネ1224

人のいのちの始まりも終わりも、神さまの手の中にあり、神さまがお決めになることです。ヨブは、家族の死を知らされた時「主は与え、主は取られる。主のみ名はほむべきかな。」と言いましたが、その素晴らしい信仰告白とともに、ヨブも感情を持つ人間です。感情も持つ人間として、家族の死は、悲しいものであった筈です。それが。愛というものです。

教会のO兄が昨日、天に召されました。長い間、主にお仕えしたご家族でした。ヨブの信仰のように、主の恵みの御手にお父さんをお委ねされ、やがて天であいまみえるときを思い描きながら祈りをささげられたことでしょう。O兄は長い間の闘病の苦しみから解放され、主の御手に抱かれて召天されたことでしょう。

O兄の死は、地に落ちた一粒の麦の死のごとく、多くの実を結び、その実を残す尊い死であったのです。O兄の信仰は、ご家族に引き継がれ、家族挙げて篤い心で主にお仕えし、長男の方は伝道者への献身の道をすでに歩み始めておられるようです。O家への神の祝福が、これからも末永く続くことでしょう。

ご家族のお気持ちをお察し申し上げ、心から主の御慰めをお祈り申し上げます。高橋芳昭。

2019年6月20日 (木)

「尽きない泉」2019/6月20日(木)2014号

 

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

 

長野県伊那市の駐車場のバラが美しかった。

2019/6月20日(木)2014号

聖書

ヨシュアは年を重ね老人になっていた。主は彼に告げられた。「あなたは年を重ね老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている。」ヨシュア記131節。

ヨシュアは、モーセの後継者として選ばれイスラエル民族の指導者になった時、神さまは、ヨシュアを、雄々しくあれ、恐れるな、いつも、どこでも、私が一緒にいると励まし約束されたのです。それから、年月が経ち、年を重ね老人になったヨシュアに、神さまは、この言葉のように強く励まされたのです。

早朝、5時少し前目覚め、主を待ち望み、御霊の確かめていた時、905か月になった私の心に、ヨシュアへのこの言葉がひらめいてきたのです。この私の心の中に、信仰、希望、愛が新しく湧いてきました。神さまは、命令と約束とともに、それを実現するための力も与えてくださるお方なのです。窓の外でウグイスやカッコウなどの小鳥たちの楽しそうなさえずりが聞こえてきます。今日も良い一日になるでしょう。

「尽きない泉」を読んでくださるお一人お一人の心に御霊によって神の愛が注がれますように心からお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月18日 (火)

「尽きない泉」2019/6月18日(火) 2012号

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

2019/6月18() 2012

竹の若葉が風になびいていました。

聖書

さて信仰は、望んでいることを保証し目に見えないものを確信するものです。

信仰がなければ神に喜ばれることはできまん。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自身を求めるに者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。へブル11章1節6節。

私たちは日常生活の現実の出来事や物の中で生きていますが、神さまは私たちを天の高いところから見守っておられるのです。ですから、自分で生きているように思えても、実は、全能、全知にして、愛と誠実、真実な神さまの御手の中にあり、その確かな御手に導かれ人生を生きているのです。

私たちの人生で、そのすべてのことの中に神さまが約束してくださった豊かさ溢れる祝福の御約束を実現し、成就してくださるのです。

このへブル書11章は、聖書に登場する人々が、それぞれの立場で神さまへの信仰と信頼を貫いた立派な生き方を手本として生きるように教えているのです。

一言でまとめたのが6節です。ここに、信仰生活の基本が書かれているのです。神さまは、私たちが信じて生きて行くことを喜んでくださるお方であり、神さまに近づき神さまの助けを求める者に報いてくださるお方であることを信じなければならないとここに書いてあるのです。

このことを人生の大切な道しるべとして、心に明るい夢を描き、信仰の先人たちを模範にして、喜びと感謝をもって生きて行きたい。

「尽きない泉」を読んでくださるお一人お一人の上に神さまの豊な祝福が注がれますようにお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月17日 (月)

2019/6月17日(月) 2011号

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

2019/6月17() 2011

聖書

すると、その地を偵察してきた者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブが、自分たちの衣を引き裂き、イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。もし主が喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちに餌食となる。彼らの守りは、すでに取り去られている。主が私たちとともにおられるからだ。彼らを恐れてはならない。民数記1469節。

                                                                        

イスラエルの人たちには、アブラハムにされたように、豊かなすばらしい地が約束されていたのです。その地を目前にしているにもかかわらず、恐れと不安に心を揺さぶられていた。12部族から一人ずつ代表が12人偵察に行くことになったのです。しかし、40日間の偵察から帰ったからのうち10人は、恐れと不安でその地に入ることに大反対したのです。しかし、カレブとヨシュアだけは、私たちには神さまがついているから大丈夫!と積極的だったのです。その判断が正しかったことは、そのあとのイスラエルの歴史を見ればわかります。

私たちの心の中には、前進すべきか、後退すべきか判断への思案の戦いがあるのです。前進か、後退かの判断を試みられながら人は生きているのです。しかし、主イエスを信じたとき、私たちは、迷わず確信をもって判断ができるようになるのです。恐れ、迷いは、なにもプラスにならず、エネルギーの浪費です。

神さまは、私たちが信じて生きることを喜ばれるお方であり、信じて明るく前向きに生きる生き方に豊かな結実はついてくるのです。

「尽きない泉」をお読みくださるお一人お一人の人生を神さまが守り祝福してくださるように心からお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月16日 (日)

「尽きない泉」2019/6月16日 2010号

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

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さつきが満開です。

2019/6月16日 2010

聖書

私はどんな境遇にあっても満足することを学びました。私は貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強くしてくださる方によってどんなことでもできるのです。ピリピ41113節。

主イエス様を信じて生きる者たちには、どんな境遇に置かれても、その境遇の中で満ち足りた心で生きる秘訣を与えられているのです。人は一生の間には色々な事もあり、折々の環境の中を生きてゆくために、その状況をいかにして乗り越えるかの知恵が必要になるのです。その知恵をここでは、秘訣と言っています。今ある時間をどう生かすか、将来の可能性があったとしても、今の自分に出来ることをどう生かすかが現実的な生き方なのです。無いは無いなりに、工夫して現状を生かす秘訣を、主イエス様は私たちに与えてくださるのです。

そして、使徒パウロは、主イエス様によってどんなことでもできると、強い確信を告白しています。

この世の厳しい現実を生きるためには、強く雄々しく逞しくなければ、世に勝つことはできないのですが、主イエス様がともにいてくださるから大丈夫です。必ず、御約束のごとく多くの実を結び、そして、その実が残る生涯を全うし勝利の人生を送らせてくださるのです。

「尽きない泉」いのちの流れが、なお多くの人々を慰め、いやし、強めてくださり、神の栄光があらわされますようにお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月15日 (土)

「尽きない泉」2019/6月15日 2009号

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

ご近所で見かけたばらです。

2019/6月15日 2008号  

聖書           

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。ピリピ44節。

主にあっての喜びを、言葉を重ねて強調しています。喜びとか、嬉しいとか、有り難いとか、良かったとか、美味しかったとかなど、喜びの気持ちや感情を言葉や態度や表情で表現するとき、その表現が、自分の脳をはじめ肉体全体に良い影響をあたえるようです。主に在って生きる私たちが喜んで自分の人生を生きることを神さまもお喜びなさるのです。

すべてのことにおいて、喜んで行動することは、心も満たされるし、その行動に、結果もついてくるのです。脳の働きにも良い影響を与えるようなのです。ですから、与えられた仕事や務めを、喜びをもって。進んで挑戦することで物事がプラスになるのです。素直に、喜びと感謝の心で日々過ごしたいです。

「尽きない泉」をお読みくださるお一人お一人の負う課題に神さまの確かな助けが与えられる様に心からお祈りしています。主に在って高橋芳昭。

 

2019年6月13日 (木)

2019/6月13日 2007号

2013/4/13 「尽きない泉」第一号

隣家のバラです。

2019/613日 2007

聖書

あなたがたは、心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。ヨハネ141節。

主イエス様の弟子たちへの大切な言葉です。

そして、このことは、人間の弱さと戦って生きる私たちにとって大事なことなのです。人は思い込みで物事を考えやすいのです。自分の小さな考えや経験による先入観にしばられて思い込んでしまうのです。

神さまのなさることは、すべてについて、私たちの思いをはるかに越えて豊かであり、満ち溢れたものなのです。主イエス様は、「神を信じ、また私を信じなさい」と言われました。

神さまの豊な備えを信じ、明るく元気で希望をもって可能性になお挑戦する人生を送ります。

「尽きない泉」をお読みくださるお一人お一人に、神さまの確かな助けと守りを信じ、お祈りしています。高橋芳昭。

 

しかし、このことは「目で見たことのないもの、耳で聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのないものを神を愛する者たちにそなえてくださった」とかいてあったとおりです。(イザヤ64章)

 

2019年6月12日 (水)

「尽きない泉」 6月12日(水)

2013//13 第2006号  

           

ケヤキ並木のはずれにあるけやきの古木

「尽きない泉」 6月12日(水)

聖書
しかし、私にとって、神のみそばにいることが幸いです。私は、神である主を私の避け所とし、あなたのすべての御業を語り告げげます。詩篇7328節。

人間の心の中の経験が、事実としてあるのです。このような幸せな気持ちや安らぎ、希望を知った自らの体験を作詞し、作曲したのが讃美歌なのです。讃美歌には、心底からの感動、喜び、安らぎがあればこそ、100200年前に作られた讃美歌であるのも関わらず、今も広く世界中で歌われ、いやされ、元気を与えられているのです。

人生のどんな困難にあっても心の奥底に、神さまがそばにいてくださることを確信できた時、人は、幸せを感じ、また、強く生きることができるのです。このような内面の経験は。人間にのみ与えられた特権なのです。そして、これが人間の本当の姿なのです。主イエスに在って生きる私たちには、目に見えるものの喜びに、このような心の奥底の喜びをともに与えられるのです。

主イエス様の弟子のひとりトマスは、心を込めて「私の主。私の神よ。」と彼の気持ちを告白しました。それからのトマスは、主イエス様とともに、喜びと希望と平安の人生を送ったことでしょう。

「尽きない泉」をお読みいただき、本当に感謝です。厳しい困難の中におられる方々のために心から、神さまの祝福と御守りをお祈りします。

             

高橋芳昭。

2019年6月11日 (火)

「尽きない泉」 6月11日(火)

2013//13 第2005号              

「尽きない泉」 6月11日(火)

美しい新緑八つ手です。

聖書
またイエスは言われた。神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出し育ちますが、どのようにそうなるのか、その人は知りません。地はひとりでに実をならせ、始めに苗。次に穂、次に多くの実が穂にできます。実が熟すると、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。マルコ42629節。

人間の営みが、どのように騒がしくしていても、自然は、毎日、夜と昼を、何事もないように静かに繰り返しているのです。毎日の朝の時間が来ると太陽が昇り、夕方のなると太陽は顔を出すのです。その同じことの繰り返しが、平凡ではなく新鮮に感じるのは、神さまの御業だからです。人が寝ていても起きていても、自然は、新鮮な昼夜を繰り返しています。主イエス様は、農作物にたとえて教えておられるのです。

私たちは、朝が来たら、自分に、すでに与えられている上からの力、御霊の力に守られていることを信じて、元気に一日の活動をはじめ、夜が来たら、恵と愛の神さまにすべてをゆだね眠るのです。このようなことを黙々と、しかし、前向きな気持ちでくりかえしているといつの間にか、強くなり、成長し、実を結ぶのです。

種を蒔いたら、あとはその時を待っていると、いつの間にか育ち実がなる時が来るのです。主イエス様は、そのことを教えておらられるのです。今、猫のひたいほどの畑を耕し、野菜を育てています。楽しみです。土をよく耕し、水や肥料をやれば、いつの間にか育ち花を咲かせ、実が結ぶのですが、不慣れで、大丈夫かな!と案じたりもします。望み得ないとにもなお望みを抱いたアブラハムのように、見えるところによらず信仰をもって生きて行きたいのです。

人生そのものも同じです。黙々と歩いています。やはり、いつの間にか筋肉がつき、確かに強くなってます。多く蒔く者が、多く刈り取ることは、恵みの神さまのお約束です。感謝です。

「尽きない泉」を読んでいてくださるすべての方々が神さまに祝福を受け御守りと助けに支えられるようにお祈りしています。t高橋芳昭。

2019年6月10日 (月)

「尽きない泉」 6月10日(月)2004号

2013//13 第2004号   

「尽きない泉」 6月10日(月)

 

上諏訪益前の花やさんの店先です。

 

聖書
どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。エペソ316節。

 二千年前に、主が約束された力と知恵と愛の御霊は、今日も信じる私たち一人一人の心を強くしてくださるのです。

五旬節(ペンテコステ)は、主イエスによる力と愛と恵みの福音が、信じるすべての人たちに与えられることが証明された記念すべき大切な日なのです。神さまが、ご計画くださった私たち人間の救いの一連の御業である主イエス様の誕生、そして、十字架と復活が、五旬節の出来事により、ついに成就、完成した喜びと感謝の日が五旬節なのです。 

「聖霊があなたがたの上に臨む時、力を受けます。」この主イエスのこの約束の御霊の力は、すでに、主イエスを信じる私たちのうちに与えられているのです。私たちが、どんなことでも、主イエスさの御名によってお祈りするとき、そのすべてについて神の御霊は働き助け、導いてくださるのです。

「尽きない泉」を読んでくださるすべての方々の上に、また、今も、厳しい試練の中におらえる方々に、御霊の慰めと助けがありますようにお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月 9日 (日)

「尽きない泉」 6月9日(日)

2013//13 第2003号 

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このような石垣がいたるところにあります。

「尽きない泉」 6月9日(日)

主はわが巌(いわお)を、わが砦、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神、わが盾、わが救いの角、わがやぐら。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると私は敵から救われる。詩篇1813

 主イエスに在って生きている私たちの人生は、大きな岩の上に建てられた家のようなものです。砂の上に建てられた家は、台風が来れば、流されるが、岩の上に建てられた家は台風が来て強い風雨にさらされても、簡単には倒れないのです。また、人生の試練のおり、大きな岩穴に隠れれば、雨風をしのげます。

詩篇914節には、「主はご自分の羽でおおい、あなたは、その翼の下に身を避ける。」とあります。神さまは、折にかなったさまざまな方法で私たちを守り助けてくださるのです。行くのも帰るのも、歩むのも伏すのも見守ってくださるのです。簡単には攻め落とせない城の中に守られているようなものです。

 今、私は、長野県諏訪市に住んでいます。ここは、年輪を重ねた大木も多く、また、花が咲く木や草の種類も多く美しい街です。ウグイス、カッコウ、その他、名の知らぬ小鳥たちの鳴き声が早朝から夕方まで聞こえてきます。

そのような美しい街ですが、自然の石を積み重ねた石垣が非常に多いのには驚いています。そして、その石垣に支えられた家屋や学校などもあり、時には、見上げるような石垣の上に立つた建物もあるのです。

このような環境の中で、さらなる長寿を目指すことができることは、本当に感謝です。そして、長野県は、全国一の長寿県なのです。福音を伝えるために、何としてもさらに長生きしたいです。神さまは、必ず、その祈りに答えてくださることを信じています。

「尽きない泉」を読んでくださるお一人お一人に神さまの祝福が豊かであるように。また。病める方々、厳しい試練の中にある方々のために、神さまの助けを心からお祈りしています。

高橋芳昭。

2019年6月 8日 (土)

第2002号  「尽きない泉」 6月6日(土)

2013//13 

第2002号  「尽きない泉」 6月6日(土)

諏訪湖 湖岸に置かれた大きな岩の彫刻です。

聖書

わたしが来たのは、羊たちが命を得るため、それも豊かに得るためです。私はよい羊飼いです。よい羊飼いは羊のためにいのちを捨てます。ヨハネ101011節。                                                                             

御子イエスを信じる者に与えられる永遠のいのちは、人の心を生かし元気にし、心を不必要に束縛しているものから解放し自由を与え、その生き方は、決して、可能性をどこまでも信じる前向きな生き方になるのです。

そして、そこにとどまることなく、さらに、その永遠の命をさらに豊かに与えてくださるのです。すべてのことにおいて溢れるばかり満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるのです。主イエス様は、いのちを与え、そして、さらに豊かに与えてくださると約束してくださいました。

信じた私たちは、そのお約束を信じて、さ、さらに、豊かないのちを求め前向きに生きる者を主イエス様は認めてくださって、すべての面で、あふれる豊かさをもって祝福してくださることを信じて生きています。

そのような祝福がお一人お一人の上に注がれることを信じお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月 7日 (金)

第2001号「尽きない泉」 6月5日(金)

2013//13 

第2001号「尽きない泉」 6月5日(金)

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群れから離れ草を食む一匹の羊(石像)

聖書
イエスは、彼らをじっと見つめて言われた。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。マタイ20章26節。

イエスさまは、弟子たちをじっと見つめて彼らの質問に答えたのです。イエス様は。静かに、間をおいて、温かく包むように答えられました。弟子たちは、主の大きく広い優しい愛を感じたことでしょう。しかし、言われたことは、実に、力強い言葉でした。「神にはどんなことでもできます。」

今日から、初心に帰って新たな気持ちで早朝、祈り待ち望む中で、この言葉が、心に響いてきました。お腹の底から力が湧いてきました。自分の力は弱く小さいのですが、上よりの力に満たされ、強くたくましく、神の全能を信じて、あらゆることに可能性を信じ、静かであっても、喜びと感謝に満たされ、先ずは、3000号を目指し、共に歩んでくださる主イエス様とともに、元気で書き続けます。高橋芳昭。

2019年6月 6日 (木)

「尽きない泉」 6月5日 2000号

2013//13 第1号

諏訪湖湖岸で見かけた噴水。

 

「尽きない泉」 6月5日 2000号(木)

聖書
しかし、聖霊があなたがたの上に臨む時、力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。使徒の働き18節。

 イエス様は、復活後40日間、復活されたイエス様は、多くのことを弟子たちに語られました。そして、この非常に大事な言葉をのこされ、天に昇られたのです。

しかし、主イエス様は、目には見えませんが、御霊によって、今も確かに、私たちとともにいてくださるのです。そして、その大能の御力をもって助け、導いてくださり、時には、私たちの思いを越えた不思議を行ってくださるのです。 今日で「尽きない泉」通算2000号になります。一つの通過点ではありますが、私にとっては、感慨深い大事な感謝の日なのです。

神さまに感謝は、勿論ですが、「尽きない泉」を読んでくださる方々への感謝も忘れません。有難うございました。

 いくつかの厳しい試練を乗り越えてこの日まで書き続けてこられたのは、「主イエス様の恵みの福音」の証しすることを生涯かけての尊い使命としてきたからと思っています。今日は、私にとって喜びと感謝と賛美の日です。

 主イエス様は、「地の果てまで、わたしの証人となります。」と約束してくださいました。6年で2000号、あと3年で3000号、そして、6年で4000号になります。千里の道も一歩から!一日一日を大事につき重ねれば不可能でないと信じています。何としても、元気で長生きしたいのです。100才まであと10年!継続は力!継続することが、力を生んでさらに継続できるのです。

高橋芳昭。

 

 

2019年6月 5日 (水)

「尽きない泉」通算1999号

2013//13 第1号

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諏訪湖湖岸に、横笛を吹く牧童と羊たちが20匹ほどの石像が置かれています。

「尽きない泉」通算1999号 6月5日(水 )

聖書

主は永遠の神。地の果てまで創造した方、疲れることなく、そのえいその英知は計り知れない。疲れたものには力を与え、精力のないものには勢いを与えられる。若者も疲れて力尽き、若い男たちもつまずき倒れる。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得。走っても力衰えず、歩いても疲れない。イザヤ書40章28~31節。

 

2013年、今から6年前の第1号から数えて通算1999号になった。2000号を控え、自分でもよくぞ続いたと思い、それもこれも、正に、神さまの恵みであり、心から感謝しています。年令から言えば高齢ですが、この「尽きない泉」は、やっと青年になったばかりです。日々、上からの力を日々新しく与えられて、若々しい新鮮なメッセージを心掛けます。

 

この「尽きない泉」の当初から、また、途中からお付き合いくださりご協力いただいた多くの方々のお力も非常に大きな支えでした。

500号の時、まだ通過点!とコメントをくださった方もおられました。1000号、1500号の節目にも、それぞれ励まされたことも力になりました。

毎日、早朝に書いていますが、その日、その日の聖書の言葉は、早朝、主を見上げ祈り待ち望んでいると新しい力とともに、心に思い浮かんでくるのです

年令から言えば、若い人たちのようなエネルギーがありませんが、今日の言葉のように神さまからの新しい力を与えられて書き続けることができました。

やはり、健康であることも大事なので、体力向上を目指して日々歩いています。

「尽きない泉」を読んでくださる方々には心から感謝しています。神さまからの豊な祝福を心からお祈りしています。高橋芳昭。

2019年6月 4日 (火)

「尽きない泉」通算1998号

2013//13 第1号

数日前にこの宅のバラを載せましたが、二階に届くほどさらに上に伸びました。

「尽きない泉」通算1998号 6月4日(火)

 聖書
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あらゆる願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての願いを越えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。ピリピ467節。

 体の健康のためには、バランスの取れた栄養と適度な運動と休養であります。私たちの心も信仰もその健全さを保つのも同じです。

 聖書は、生きるに必要な力とバランスの取れた健全な知恵を与えてくださるのです。その必要な心の糧は、心の安です。その平安は、私たちの思いを越えた強く深く揺るぐことのない心と思いを守ってくださる平安なのです。その平安は、祈りから生まれるのです。神さまからの恵みにより与えられた祈りの特権をもっと大事に用いて祈りに励みたいです。

「尽きない泉」を読んでくださり感謝します。お一人お一人が負う重荷のために、神さまの御守りと助けをお祈りしています。高橋芳昭。

 

2019年6月 3日 (月)

「尽きない泉」通算1997号

2013//13 第1号

外壁前面に広がる新緑の蔦を見かけました、

「尽きない泉」通算1997号 6月3日(月)

 聖書
川にほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が成長し、その葉は枯れず、実も枯れることがなく、毎月新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物であり、その葉は薬となる。旧約聖書エゼキエル書47

 イスラエルが捕囚という囚われの身で苦しみの中にあった時、神さまは、預言者エゼキエルを用いて、イスラエルの民を励まし明るい希望を与える約束の言葉を民族に与えたのです。

 そして、今、イエス様が救主として信じて生きる私たちは、神に選ばれた民として、その予言のごとく尽きることなく多くの実を結ぶ人生を主イエス様の約束してくださったのです。

日々新しくされ、新しい実を結ぶ人生を約束してくださったのです。それは、喜び、感謝、信仰、希望、愛、忍耐、寛容などで心を豊かにされることは、目に見えない祝福なのです。

聞く耳、見る目をもって注意深く観察していると、人生のすべての時間、すべての場所において、必ず、新しい発見があるのです。

そして、人は、人間として成長するのです。終わりまでそのようなことを心掛けて生きることが、若さの秘訣なのです。

外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされることは本当に感謝です。

「尽きない泉」をお読みくださるお一人お一人の上に神さまの祝福が豊かにありますように心からお祈りします。高橋芳昭。

2019年6月 2日 (日)

「尽きない泉」通算1996号

2013//13 第1号

けやき並木通りの歩道で見たあやめです。

「尽きない泉」通算1996号 6月2日(日)

聖書
主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。ルカ145節。

 聖書は、神さまの約束の言葉です。旧約聖書、新約聖書と呼ばれているのは、そういう意味です。約束は必ず実現するのです。イエス様が救い主として誕生されることを、紀元前700年ぐらい前に予言者イザヤによって、既に予言されていたのです。(イザヤ書96節以下)

神さまは、今も生きて働いておられるのです。神さまの栄光を現すために選ばれ与えられた人生において、私たちが世の荒波に勝って実り豊かな人生を送るために必要な力と知恵を聖書は与えてくださるのです。主イエス様は、わたしにつながっていれば、多くの実を結ぶと約束してくださったのです。力の不足、知恵の不足を感じることがあっても、主イエス様は、すぐそばにいて、力ある御手をもって助けてくださるのです。

 人生、いかなることがあっても、私たちに与えられた希望は終わらないのです。どこまでも、可能性を求めて生きて行きたい。

「尽きない泉」を読んでくださるお一人お一人の上に祝福がありますように心からお祈りしております。高橋芳昭。

2019年6月 1日 (土)

「尽きない泉」通算1993号 5月30日(

2013//13 第1号

手違いで日にちがずれています。ご了承ください。

 

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創立94年の茅野キリスト教会の歴史を感じる教会堂です。、

「尽きない泉」通算1993号 5月30日(木)

聖書

私はすでに得たのでもなく、完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追及しておるのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが捕らえてくださったのです。

兄弟たち。私は、自分がすでに捕られたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、後ろのことを忘れ、前のものに向かって身を伸ばしキリスト・イエスにあって神は上に召してくださるという賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。ピリピ3章12~13節。

 

人生終わりまで、自分の未熟さ、不完全さを意識しながら、神さまからの賞を目標にして、主イエス様から目を離さず、一心に走り続けることは、勝利の人生の秘訣なのです。

 

人生の卒業などないのです。知識においても、経験においても、まだまだ、と思って生きることが大切なのです。もう完成したと高ぶる思いになると後退が始まるのです。

人間としてそのような弱さを持つ私たちを、主イエス様はしっかり捕まえていてくださるのです。主イエスの御手は、私たちが行き過ぎもせず、行き足りないこともないように、私たちを守り導いてくださるのです。ですから、いつも、どこでも、何があっても、先ずお祈りするとき、私たちとともにいてくださる主は助けてくださるのです。

そのような主イエス様が、お一人お一人を祝福してくださることを信じてお祈りしています。高橋芳昭。

 

 

「尽きない泉」通算1995号

2013//13 第1号

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諏訪市内のケヤキの並木通りです。

「尽きない泉」通算1995号 6月1日(土)

聖書

しかし、トマスは彼らに「私はその手に釘の後を見て、釘の後に指を入れ、その脇腹に手を入れて見なければ、決して信じません」と言った。八日後、弟子たちは家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスはやって来て、彼らの真ん中に立ち「平安があなたがたにあるように」と言われた。

それからトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」イエスは、彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」ヨハネ202429節。

 「私の主、私の神よ。」と心を込めたトマスの告白は、非常に感動的な場面であり、そこに至る多くの記述は、その告白に焦点を合わせて書かれたのであろうと思うのです。

トマスのこの告白以降の彼のお祈りは、神さまとの対話になったことでしょう。信頼と愛でなされる交流における会話こそ、私たちをいやし、強くするのです。

自分の弱さをすべて分かってくださるお方と聖書の言葉を通して神さまと交流し、神と一つになって生きる人生には、これ以上ない幸せと多くの実を結ぶ人生が、そこにあるのです。

トマスとともにいてくだった神さまはお一人お一人の神さまです。心からお幸せを祈ります。高橋芳昭。

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